究極の暇つぶしって「他人の観察」なのか。

 ネットは安価な暇つぶしを提供する有意義なツールだと思っていて、「こんな暇つぶしはどーじゃろ」と仮説(企画)を立てていたのですが、どうやら多くの人が選択する暇つぶしは「他人の観察」らしいので、僕が立てた仮説(企画)は全部ダメだということに。
 ひょっとしてコレって常識なんでしょーか。



 ――てなことを昼飯を待っているときに思って気が滅入った。
 mixi(あるいはSNS一般)もTwitterもそうだし、昔からあるライブカメラも、「他人の観察」って割と人気コンテンツなんだよねぇ。
 マスメディアが有名人のどーでもいいプライベートなんかを提供するのは「話題の共有に向いてるから」だと思っていたんだけど、別に話題を共有する必要なんかなくて「他人の観察」であれば充分なんですね。

 僕としては「コミュニケーションを望むけどコストが高いのが難点」ってのを克服するのが暇つぶしとしてはベストだと思っていたんだけど、実際にはコミュニケーションなんか望まれてなくて、単に「他人を観察」できればそれで暇つぶしとして成立するんであって、他はおまけに過ぎない(あるいは余分なモノ)とか思うと、ちょっと暗い気分になった(自分の仮説に意味がないと分かったから)。

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